血のつながりはないけれど、家族になった。——障害のある子の「義父」になって、いま思うこと

血のつながりはないけれど家族になった

最初の記事で、私は「義父として、18歳の壁に向き合う記録を書いていく」と宣言しました。妻とは学生時代の同級生で、子どもがいることも、障害があることも、再婚前から知っていた——そんな経緯も、そこで少しだけ書きました。

今日はその続きとして、「義父という立場そのもの」について書こうと思います。血のつながりのない私が、どうやってこの子と家族になっていったのか。きれいごとを抜きにして書きます。


目次

障害があったからこそ、すっと家族になれたのかもしれない

うちの子は重度の知的障害と自閉症があります。そして——これは語弊があるかもしれませんが——その子だったからこそ、逆にすっと家族になれたのかもしれない、と感じることがあります。

考えてみてください。思春期の、いわゆる定型発達の子からすれば、「母親の再婚」は微妙な気持ちになるものだと思います。新しく家に来た男を、簡単には受け入れられない。それが自然です。

でもうちの子は、損得や複雑な感情でこちらを値踏みすることがありませんでした。一緒に暮らす「メンバー」として、ただ自然に受け入れてくれた。

私たちは、何年か一緒に暮らしてから結婚しました。だからこの子の中では、結婚という手続きよりずっと前に、私は「家にいる仲間」として認識されていたんだと思います。

呼び方も、自然でした。妻が私を呼ぶときの愛称を聞いて、いつのまにか同じように、その愛称で呼んでくれるようになった。言葉をうまく発音できないことも多いのですが、その呼び名は言いやすいみたいで、ちゃんと呼んでくれます。

「お父さん」と呼ばれたわけではない。でも、私はこの呼び名で、十分すぎるくらいでした。


周囲の目より、気にしていること

「再婚で、しかも障害のある子の父親になることに、周りの目は気にならなかったか」と聞かれることがあります。

正直、周囲の目はあまり気にしたことがありません。

ただ一つだけ、いつも気にしていることがあります。それは、妻の両親を不安にさせないことです。大事な娘と孫を、この男に任せて大丈夫なのか——そう思うのは当たり前のことだと思うので、そこだけは、ずっと心の片隅に置いています。


「懐いてくれているな」と感じる瞬間

一緒に暮らしていると、この子が私に懐いてくれているな、と感じる瞬間がたくさんあります。言葉での会話は多くありませんが、その分、行動でまっすぐ伝わってきます。

  • 私の頭の匂いを、よく嗅ぎます。誰の頭でも嗅ぐわけではありません。
  • お風呂は、私を指名してきます。
  • 「こちょこちょして」と、自分からせがんできます。

そして、いちばん私が好きな瞬間がこれです。

この子は、相手の表情や空気をとても敏感に察知します。私が少し疲れていたり、表情が硬かったりすると、目の前にぐっと顔を近づけてきて、私の愛称を呼びながら、こう言うんです。

「はい!」

たぶん、「笑え」と言っているんだと思います。

うまく言葉にできない子が、私の疲れを察して、わざわざ顔を近づけて笑わせにくる。これをやられて、笑わないわけがない。


「自分の子」という感覚は、まだない。でも家族だ

「自分の子ども」という感覚は、まだそこまで強くありません。隠さずに書きます。

でも、「家族」という感覚は、とてもあります。

無理に「子どもだ」「父親にならなきゃ」と意識しなくてもいいのかな、とも思っています。妻が何より大事にしている存在だから、私も当たり前に大事にする。スタートは、それで十分なんじゃないかと。

そのうえで、最近は少しずつ変化も感じています。学校の面談や、卒業後の進路の話を妻と重ねていくうちに、「親としての意識」や「自覚」のようなものが、じわじわと出てきました。子どものことは、妻と相談しながら、協力しながらやっていく。その積み重ねの中で、少しずつ「保護者」、つまり「父親」という感覚が芽生えてきている気がします。


合理で考えたら、結婚なんてできない

最後に、いちばん根っこのことを書きます。

良くも悪くも、私は結婚前に、このことを深く考え込んだわけではありませんでした。好きになった人の子どもが、たまたま障害を持っていた——本当に、ただそれだけのことだと思っています。

そもそも、合理的なことばかり考えていたら、結婚なんてできないと思うんです。実は私自身、過去に一度、結婚と離婚を経験しています。だからこそ、結婚は損得勘定でするものじゃない、というのが、自分なりの実感としてあります。


同じ立場の人へ

もし今、これから障害のある子の義父・継親になろうとしている人がいたら、伝えたいことは一つです。

無理に「父親にならなきゃ」と気負わなくていい。

まずは、家族として、当たり前に大事にする。血のつながりも、「お父さん」という呼び名も、最初から要りません。一緒に暮らして、お風呂に入って、こちょこちょして、笑い合う。その積み重ねの先に、自然と「家族」や「父親」の感覚はついてくる——少なくとも、私の場合はそうでした。

この記録も、まだ途中です。これからこの子と過ごす中で感じたことは、また書いていきます。


この記事について

  • この記事は2026年6月時点の、私個人の体験と気持ちの記録です。最終更新日:2026年6月20日。
  • 家族や周囲が特定される情報はぼかして書いています。制度や手続きについては、身近に行政書士(義理の叔母)がいて相談できる環境で書いていますが、私自身は専門家ではありません。
  • 書き手のプロフィールはこちら → /about/

そもそも私がなぜこの記録を書き始めたのか、というところはこちらに書いています。
義父が「18歳の壁」に向き合っている話を、記録として書いていくことにした

手続きの「しんどさ」そのものについて書いた体験エッセイはこちら。
障害のある子の手続きは、誰も先回りして教えてくれない。「18歳の壁」で一番こたえたこと

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この記事を書いた人

重度知的障害・自閉症(愛の手帳A1)の子の義父。再婚で15歳から保護者になり、いま「18歳の壁」——成年後見の申立・生活介護への移行・障害年金の準備を、当事者としてリアルタイムで記録しています。身近に行政書士(義理の叔母)がいて制度を確認しながら執筆。私自身は専門家ではありません。横浜市在住。詳しいプロフィール → https://kazolog.com/about/

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